アイヌ語入門2 

2−1 アイヌ口頭文芸のあらまし
コラム ‐ アイヌ口頭文芸の調査・研究の歴史
 アイヌの口頭文芸を記録したり調べたりすることはいつごろから行なわれてきたのでしょうか。
 早い例では、18世紀頃の日本の江戸時代の文献に少しずつですが記述が見られます。 その後では、 例えば1792年に書かれたとされる 上原熊次郎(うえはら くまじろう)の 『もしほ草』には、 物語のアイヌ語原文と、 その一部を日本語に訳したものなどが記されています。
 明治以降になると、 物語のアイヌ語そのものを筆録し訳を付け、 さらに物語の様々な種類に注目して それらの区分や特徴について研究することが行なわれるようになりました。
 イギリス人の宣教師ジョン・パチェラー(1854-1944)は、 1880年頃から主に北海道の南西部を中心にアイヌ語やアイヌ文化を記録し、 いくつかの物語を採録しています。
もしほ草(復刻版)

もしほ草(復刻版)

(1/2)

  » つづきへ    

 
 20世紀の初頭、 ポーランド出身のブ口ニスワフ・ピウスツキ(1866-1918) は、 主にサハリン(樺太)でアイヌ語やアイヌの民俗についての調査を行ない、 口頭文芸を記録しました。 このとき現在のレコードにあたる蝋管(ろうかん)を使って録音を行なっており、 これが現在確認されるアイヌ語の音声記録としてはもっとも古いものとされています。
 同じ頃から、金田一京助(きんだいち きょうすけ 1882-1971)は、 北海道各地やサハリンでアイヌ語の調査を行ない、 多くの物語を採録してそれらの研究を進めました。 その弟子の久保寺逸彦(くぼでら いつひこ 1902-1971)や 知里真志保(ちりま しほ 1909-1961)はさらに、 様々な種類の物語を採録し、 その整理・調査を行ないました。 これらの成果は、 現在までの研究に大きな影響を遣(のこ)しています。
録音されたレコードとサハリンの地図

久保寺逸彦さんが1935(昭和10)年に録音した
レコード

(2/2)

  « 戻 る